職場では、部門が独自製作したマイコンボードを管理する仕事をしていた。しかし時代は変わり、マイコンメーカー自身が高性能なマイコンボードを提供するようになり、部門でもそれらを使うことが増えていった。結果として、私の担当していた“支援部門のさらに支援”という仕事は役割を終えることになった。
その後はモデルベース開発に携わり、開発部が作ったデバイスを使ったシステムの提案型開発を担当するようになった。ここで当時の課長との確執もあるが、本論から逸れるのでここでは伏せておく。
そんな私の状況を見かねた新任課長の判断により、部門の主業務である「開発部門から依頼された組込システムのソフトウェア開発」を担当することになった。
■ コロナショック初期の立ち回り
ちょうどその頃、コロナショックが起きた。 私はリーマンショックのときに完全にフリーズして相場を見なかったことを、ずっと引け目に感じていた。ギリシャ債務危機やチャイナショックもあったが、当時はそこまで大きく感じなかったのも、この引け目が影響していたのだろう。
コロナショック初日、なんとなく「これは違う」と感じ、優待株や高配当株など“売らないと決めている銘柄”以外を1/3売った。 その夜のニュースを見て翌日も大きく下げるのを確認し、さらに1/3売った。これは自分でもグッジョブと言える判断だったと思う。この時点で、すでに「1か月ほどして下げ止まりを感じたら買い戻す」というところまで考えていた。
■コロナショックによる自宅勤務と証券口座の振り分け
会社はあっという間に自宅勤務を決定した。 ちょうど依頼開発の仕事に移るタイミングだったため、まともに仕事を抱えていない状態で自宅勤務に入った。組込ソフトウェアの自習はしていたが、正直かなり暇だった。
投資戦略を考えるには、むしろ良い時間ができたと言える。
当時、株式はSBI証券、投資信託は楽天証券、優待クロスは三菱UFJ eスマート証券を使っていた。手数料を勘案し、新たにGMOクリック証券の口座を開き、株式を目的別に整理することにした。
メイン:SBI証券
高配当:楽天証券
優待:GMOクリック証券
この整理は株式の移管で行った。移管には日数がかかるためほとんど動かさなかった。すでに大半の株式を売っていた状態だったので、この制約はむしろ良かったと言える。SBI証券で売った現金も銀行経由で各証券会社へ移した。
■ コロナショック時の売買
コロナショック開始から1か月ほどで株式移管は終わっており、思惑通り下げ止まったように見えた。予定通り買い戻しを始めた。
しかしその後、株価はなかなか戻らない。さらに1ヶ月半後には大きく下げ、日経平均が10%近く下がった翌日に10%近く上がるという動きを繰り返し始めた。
リーマンショックの反省から、今回は相場を見続けることに決めていた。 大きなボラティリティに応じて、日経平均の上下と自分の保有株の上下を天秤にかけながら売買し、ポートフォリオ全体のリスクを調整した。
しかし恐怖は残っており、キャッシュをすべて投入することはできなかった。結果として、そこが底打ちだったにもかかわらず、底ではほとんど買い増すことができなかった。本格的に買い戻せたのは、底から明らかに上昇基調へ転換したタイミングだった。
■ 株式運用方針の修正
証券口座の振り分けをおこなうにあたり、これまでなんとなく資産が増えたら良いなという目標からより具体的な運用方針に修正をおこなった
株の優待品で、できるだけ生活を賄えるようにする
株の配当で、優待では賄えない生活費(主に家賃)を充当する
メイン口座で資産の増加を図る
優待株・高配当株は、長期的に業績が上がり株価も上昇すると見込めるもののみとする
さらに節税クロスを行い、口座にはほとんど含み損が見られない状態を維持した。 業績や配当利回りをチェックして銘柄の入れ替えを行い、優待条件を見て買い増しもした。
これらの目標と行動によって、それまでキャッシュポジションが3割を下回ることがなかったのが、徐々にフルポジションに近づいていった。
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